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ホセ・カレーラスの軌跡

                                                編=ホセ・カレーラス ファンクラブ
                                  
  【注】( )は満年齢で表記、青字は日本での公演です


1946年   12月5日、スペイン・バルセロナにて、父Josep Carreras i soler(ジュゼップ・カレーラス・イ・スレー)と母Antònia Coll i Saigi (アントニア・コイ・イ
      ・サイジ)の、兄・姉に続く第三子として誕生。カタルーニャ語でのフルネームは、Josep Maria Carreras i Coll(ジュゼップ・マリア・カレーラス・イ・
      コイ)     

1953年(6歳)マリオ・ランツァ主演の映画「歌劇王カルーソー」を見てオペラと出会い、歌うことの大きな楽しみに目覚める。その後、母の友人マグダ・プルネラ
      から歌とピアノを習い始める。  

1954年(7歳)スペインの国営ラジオに出演し、カタルーニャのクリスマスの歌と「女心の歌」を歌う。初めて生のオペラ(テバルディ出演『アイーダ』)をバルセロ
      ナ・リセウ大劇場で体験する。

1958年(11歳)1月、リセウ大劇場にて、イトゥルビ指揮のファリャのオペラ『ペドロ親方の人形芝居』の子役で初舞台を踏み、大成功を収める。

1959年(12歳)1月、アルティセントのオペラ『アムント』に出演。11月、プッチーニのオペラ『ラ・ボエーム』にも子役として出演する。

1964年(17歳)フランシスコ・ピュイグのもとで、歌手としての本格的な専門教育を受け始める。また一方で、アマチュア歌手のファン・ルアークスに師事する。

1965年(18歳)母アントニアが、癌のため五十歳で亡くなる。

1970年(23歳)1月、ベッリーニの『ノルマ』のフラーヴィオ役で、本格的なオペラ・デビューをリセウ大劇場で飾り、モンセラット・カバリエと初共演する。12月、ドニ
      ゼッティの『ルクレツィア・ボルジア』のジェンナーロ役で、初めての主役を歌う。

1971年(24歳)10月、イタリア・パルマで行われた「ヴェルディ国際声楽コンクール」で、『仮面舞踏会』のリッカルドのアリアを歌い、優勝。コンクールを聴きに来てい
      た、尊敬し、また偉大なるお手本である、ジュゼッペ・ディ・ステファノと感激の対面をする。

1972年(25歳)プッチーニ『蝶々夫人』のピンカートン役で、ニューヨーク・シティ・オペラに出演し、アメリカ・デビューを果たす。

1973年(26歳)9月、第七回イタリア歌劇団の一員として、初来日。『椿姫』のアルフレード役でレナータ・スコットと共演し、日本デビュー。11月、『ラ・ボエーム』のロド
      ルフォ役で、サンフランシスコ歌劇場にデビュー。

1974年(27歳)1月、『リゴレット』のマントヴァ公爵役でウィーン国立歌劇場デビュー。3月に、ロンドンのコヴェント・ガーデン王立歌劇場の『椿姫』のアルフレード、ミュ
      ンヘン歌劇場(バイエルン州立歌劇場)の『トスカ』のカヴァラドッシで、それぞれデビューする。11月、『トスカ』でニューヨークのメトロポリタン歌劇場
      にデビュー。

1975年(28歳)2月、ミラノ・スカラ座に『仮面舞踏会』のリッカルド役でデビューし、カバリエ、レナート・ブルゾンと共演。再会したジュゼッペ・ディ・ステファノから
      リッカルドの衣装を譲り受け、自他共に認める大成功となる。

1976年(29歳)4月、ザルツブルク復活祭音楽祭にて、カラヤンとヴェルディ『レクイエム』で初共演。また、夏のザルツブルク音楽祭にも『ドン・カルロ』のタイトル
      ロールで共演し、以後長年にわたり数多くの舞台を共にする。
9月、第八回イタリア歌劇団公演で来日し、カバリエ、コッソットと『アドリアーナ・ルク
      
ヴルール』のマウリツィオ役で共演。

1977年(30歳5月、カラヤンの13年振りのウィーン国立歌劇場公演『ラ・ボエーム』で、ミレッラ・フレーニと共演。

1979年(32歳)7月、ザルツブルク音楽祭において、カラヤン指揮『アイーダ』で初めてラダメスを歌う。9月、コヴェント・ガーデン王立歌劇場引越し公演で、三度
      
目の来日をし、カバリエと『トスカ』に出演する。

1983年(36歳)11月、初めてのリサイタル・ツアーのため、四度目の来日。

1984年(37歳)「ウエスト・サイド・ストーリー」を、作曲者バーンスタイン自ら指揮のもと、キリ・テ・カナワらと録音。

1985年(38歳)ザルツブルク音楽祭にて、カラヤン指揮の『カルメン』に出演。

1986年(39歳)9月、コヴェント・ガーデン王立歌劇場来日公演で、アグネス・バルツァと『カルメン』に出演。

1987年(40歳7月、映画『ラ・ボエーム』をパリで撮影中、急性リンパ性白血病を発病。出演を断念し、バルセロナのクリニコ病院で化学療法を受け始める。10月
      末に、アメリカ・シアトルのハッチンソン癌研究センターに、骨髄移植(自家移植)のため入院。

1988年(41歳2月末、シアトルでの治療を終え、バルセロナの自宅に戻る。7月、白血病撲滅のための「ホセ・カレーラス国際白血病財団」を創設。7月21日、バル
      セロナの凱旋門前広場で、カムバック・コンサートを開く。このコンサートは「ホセ・カレーラス国際白血病財団」を支援するための初めての催しでも
      ある。その後、ヴェローナやペララダ、ウィーンなどで、カムバック・コンサートに出演し、徐々に活動の場を広げていき、『トスカ』も録音する。ヴァチ
      カン宮殿で、公には初めてとなる、ラミレス作曲の「ミサ・クリオージャ」を歌う。

1989年(42歳)8月、ザルツブルク音楽祭に復帰リサイタルとして出演。11月、日本でも東京と大阪で復帰リサイタルを開き、ファンを歓喜させる。また、グランドオ
      ペ
ラ『カルメン』にも出演。

1990年(43歳)7月、サッカー・ワールドカップ決勝戦の「前夜祭」と銘打ち、ローマのカラカラ浴場跡で、ルチアーノ・パヴァロッティ、プラシド・ドミンゴと共演し、こ
      れが「三大テノール・コンサート」の始まりとなる。

1991年(44歳)3~4月に、東京と大阪でリサイタルやコンサートに出演。

1992年(45歳)夏に開催された「バルセロナ・オリンピック」の、開会式と閉会式の音楽監督を務める。

1993年(46歳)1月、ヴェルディ作『スティッフェリオ』のタイトルロールをコヴェント・ガーデン王立歌劇場で演じ、サー・ローレンス・オリヴィエ賞を受ける。3月に来
      
日し、リサイタルやコンサートに出演。また日本の骨髄バンクを支援するため、初めてのチャリティー・コンサートが開催される。

1994年(47歳)7月、サッカーのワールドカップ・アメリカ大会の決勝戦前夜祭として、ロスアンジェルスのドジャース・スタジアムで、二度目の「三大テノール・コンサ
      ート」が開催される。

1995年(48歳)7~8月に来日。リサイタル四公演と、チャリティー・コンサートに出演。

1996年(49歳)6月、三大テノール・ワールド・ツアーのスタートとして、東京・国立競技場でコンサートが開かれる。

1997年(50歳)3月、大阪ドームのこけら落とし公演で、ドミンゴ、ダイアナ・ロスと「スーパー・コンサート」にて共演。5~6月、11月にも来日し、リサイタルやチャリ
      ティー・コンサート、スーパー・オペラなど多岐にわたり出演。

1998年(51歳)5月、チューリッヒ歌劇場で、フェラーリの『スライ』を初めて演じる。7月、サッカー・ワールドカップ・フランス大会を祝い、エッフェル塔下で「三大テノ
      ール・コンサート」が開催される。7月、バルセロナで「ホセ・カレーラス国際白血病財団創立10周年記念コンサート」を主催する。
10月、ボローニャ歌
      劇場来日公演ジョルダーノの『フェドーラ』に、タイトル・ロールのフレーニと出演。

1999年(52歳)1月、日本で二度目となる「三大テノール・コンサート」が東京で開かれる。7月、「スーパー・コンサートin福岡」が福岡ドームで開催され、ドミンゴ、
      ダイアナ・ロスと共演。また、来日リサイタルやコンサートが11月に五公演行われる。

2001年(54歳)10~11月来日し、初めての岡山公演を始め、リサイタルやコンサートに出演。また、豊田スタジアムで、サラ・ブライトマンや谷村新司とコンサートで
      共演する。

2002年(55歳)6月、サッカー・ワールドカップを祝うコンサートとしては最後となる「三大テノール・コンサート」が、横浜アリーナで開催される。7月、『スライ』日
      本公演が、NHKホールなどで三回上演される。後日、「法隆寺音舞台」にも出演。
8月、13年振りにザルツブルク音楽祭に出演し、祝祭大劇場でソロ・
      コンサートを行う。

2003年(56歳)8月、イングランドのバースで、最後となった「三大テノール・コンサート」に出演する。10~11月、大阪、横浜、名古屋、東京(二回)、札幌で歌曲リサ
      イタルを開く。

2004年(57歳)2月、「ウィーン国立歌劇場デビュー30周年記念チャリティー・ガラ」が開かれ、歌曲コンサートや、『カルメン』『スライ』のそれぞれ四幕目が上演さ
      れる。また記念切手も発売される。
12月、パークハイアット東京の開業10周年を記念して、「ドリーム・シアター」が開催されるのに伴い来日し、ミニ・
      コンサートで三回ステー ジに立つ。

2005年(58歳)10~11月、「ミサ・クリオージャを歌う」と題された四公演と、歌曲リサイタルのため来日する

2006年(59歳)3月、ウィーンのコンツェルトハウスにおいて、初の「ベル・エポック」コンサートが行われる。12月、東京と兵庫で、クリスマス・スペシャル・コンサート
      に
出演する。

2007年(60歳)10~11月、日本でも「ベル・エポック」コンサートが、初めての地・金沢を始め、東京など四公演と、リサイタルが開かれる。

2008年(61歳)デビュー50周年を迎え、バルセロナを始め、世界各地で記念コンサートが開かれる。日本でも「ステージ・デビュー50周年記念公演」が開かれ、11
      月5日にはモーツァルトの「レクイエム」(オーチャードホール)、11月8日はバーバラ・ボニーと「スペシャル・コンサート」(サントリーホール)、また、大
      阪サンケイホールブリーゼの、開場記念式典(11月11日)やこけら落とし公演(11月15日)に出演する。

2009年(62歳)サントリーホールにおいて、クリスマス・コンサート(12月9日)と「地中海の情熱」テノール・リサイタル(12月12日)が行われる。

2010年(63歳) 11月23日、サントリーホールにおいて、「ROMANCE」と題されたテノール・リサイタルが行われる。11月25日に神戸国際会館こくさいホールで開催
      された「川井郁子スぺシャルチャリティーコンサート」にゲスト出演する。

2011年(64歳)11月29日、サントリーホールにて、「Sogno~夢」と題されたテノール・リサイタルが行われる。12月2日には、同じくサントリーホールで、サルスエ
      ラ・コンサート「スペインの情熱と哀愁」に出演。共演はソプラノのサビーナ・プエルトラスと東京フィルハーモニー交響楽団。

2012年(65歳)12月1日、東急シアターオーブにて、ソプラノのグラディス・ロッシ、東京フィルハーモニー交響楽団と「sings Musical Songs」と題されたコンサート
      に出演。ミュージカル曲や映画音楽を歌う。

2013年(66歳)9月15日、ウィーン国立歌劇場にて、「ホセ・カレーラス国際白血病財団設立25周年ガラ・コンサートを開催する。

      11月23日、大阪のフェスティバルホールにて、ポール・ベートマン指揮によるザ・カレッジ・オペラハウス管弦楽団の演奏で、「sings Musical Songs」
      と題されたコンサートにソプラノのグラディス・ロッシと出演。ミュージカル曲や映画音楽を歌う。12月1日、サントリーホールにて、ゲストに川井郁子
      (ヴァイオリン)と長谷川陽子(チェロ)を迎え、コンサートが行われる。12月4日、サントリーホールにて「愛の調べ」と題されたリサイタルを、ロレン
      ツォ・バヴァーイのピアノ伴奏で行う。 

2014年(67歳)4月26日、29日、5月2日はアリアガ劇場(スペイン・ビルバオ)で、8月9日、12日、15日はチロル祝祭劇場(オーストリア・エルル)にて、クリスチャ
      ン・コロノヴィッツによる新作オペラ『EL JUEZ(裁判官)』に出演。大成功を収める。

      11月29日、サントリーホールにて、「郷愁」と題されたリサイタルを、ロレンツォ・バヴァーイのピアノ伴奏で行う。

2015年(68歳)1月15日&18日、ロシアのサンクトペテルブルクのマリインスキー劇場にてオペラ『EL JUEZ(裁判官)』に出演
       11月22日、サントリーホールにて、「碧き星」と題されたリサイタルを、ロレンツォ・バヴァーイのピアノ伴奏で行う。

2016年(69歳)7月2日&5日、オーストリア、ウィーンのアン・デア・ウィーン劇場にて、クリスチャン・コロノヴィッツによる新作オペラ『EL JUEZ(裁判官)』に出演。        

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